今日は七夕で、「小暑」でもある。 今年は梅雨前線の停滞もなく、晴天の天の川や”彦星””織姫”が観える確率が高い日であるという。10年の内2・3度の確率で、晴天の七夕が観えるのだという。 さて今年の七月は、「トカラ列島での地震頻発」が大きな話題になっている。 ![]() 震度4~6くらいの地震が毎日の様に、ここ2・3週間続いているのである。 これはかなりの確率で、遠からず大地震が起きる可能性を示唆している、と言ってもよい自然現象なのではないか。 更に、この群発地震発生エリアは、上記の地図のとおり阿蘇山→霧島連山→桜島→トカラ列島という、九州を北から南に縦断する火山帯の一画を占めており、これら一帯は地下深くでは繋がっている。 従って、ほぼ時期を同じうして発生している「霧島連山」の「新燃岳」の火山活動が活発化している事とは無縁ではない。 この北・南に九州を縦断する「活火山帯」全体が、活発な活動期に入っている、と理解すべきであろう。 という事から「トカラ列島」と共に、当該活火山帯エリアに含まれる自治体は、他人事とするのではなく自分事として認識し、トカラ列島と同様の問題意識を、持つ必要があるのではないか、と私は考えている。 自然現象で起こる事は、客観的かつ科学的な情報の収集と、分析に依って、近い将来起こりうる事態に”備える事”が重要なのである。 取り分け住民の生命と財産を守る事が、大きな役割と使命といえる自治体や政治家達は、これらの情報や分析に基づく事前の「備え」を為すべきではないか、と私は想っている。 決して「マンガ」や「夢み」といった、非科学的な情報や主観的な情報に惑わされてはいけないのである。 マスコミやSNS等のマイクロメディアは、「視聴率」や「視聴者数還元金」が、情報収集と情報発信の動機である事を忘れてはいけない、のである。 ![]() ”備えあれば憂いなし”なのである。 |
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甲斐源氏の鎌倉時代の武将安田義定に興味/関心を抱いていた私(立花)は、静岡県遠州の北部「北遠」での秋葉山神社本宮と春野町の事を知り、ますます義定公と甲州金山衆のことが気になってきていた。 とりわけ春野町でも随所でその痕跡や足跡が確認された、「甲州金山衆」とは一体どのような人達なのだろうかという事を、改めて考えてみる事にした。 金山衆=金山開発の従事者について調べてみたところ、古代日本の金山開発の一端を担ってきた場所の一つとして、北茨城から那須に連なる「奥久慈エリア」があることを知る事となった。 そしてその北茨城は甲斐源氏と先祖を共にする常陸源氏佐竹氏の根拠地であることに気が付いた。佐竹氏と甲斐源氏は共に新羅三郎義光という祖先を持ち、かつては共に常陸之國の有力な豪族であった。 ひょっとしてその常陸之國に、「甲州金山衆=黒川衆」のルーツを知るヒントがあるかもしれない、と私は思い始め常陸之國茨城について改めて調べる事とした。 この物語は甲斐源氏安田義定及びその家臣である黒川衆と、常陸之國の関係を改めて調べ、再確認するための「歴史検証物語」である。 < 全 体 構 成 > 1.常陸、武田郷編 常陸之國における甲斐源氏祖先の痕跡や足跡を 求めて主人公たちが、現在の「ひたちなか市」 武田郷を訪れ、幾つかの事実や痕跡を確認する プロセスである。 2.佐竹氏と金沙神社編 常陸之國北部を中心に、砂金/金山開発に関連する 金沙神社を訪ね、現在の茨城県に残る砂金/金山 開発の痕跡や史跡を地元の郷土史研究家達と一緒 に確認することに成った。 茨城県の最北端で、かつては陸奥之國に含まれて いた八溝山周辺の金山や金鉱を訪れる事に成った 立花達は、大子町の袋田温泉で地元の金山開発に 」 詳しい新たな郷土史研究家たちと合流し情報交換 をすることに成った。 そこで茨城のメンバーから常陸之國の金山開発と 越後之國とに浅からぬ関係が在ることを識る。 それには上杉謙信と越後金山衆が多いに関わって いたのだという。 = 義光流源氏、家系 = 流祖:源義光(新羅三郎義光) 源盛義 源義清 源義業(嫡子) (信濃源氏;平野氏家祖) (甲斐源氏:武田流祖) (常陸源氏:佐竹氏家祖) 源清光(嫡子) 源義定 源遠光 源信義(嫡子) 源光長 (安田氏家祖) (加賀美氏家祖) (武田氏家祖) (逸見氏家祖)
安田義定は源清光の四男で、源義光のひ孫にあたる。 |
![]() 〒089-2100 北海道十勝 , 大樹町 ![]() ] ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |