”人生食堂 ”という名の・・ 私は先日までの1週間ほど、首都圏に行っていた。 父親の没後40年になるので、親族が集まって行う法事に出席するためであった。 親族と言っても、そんなに大げさなものではなく、父母の間に出来た子供たちと、孫の一部が参集した程度である。 その法事の後、私だけ4・5日山梨に留まった。 この間相変わらずの「安田義定公関連の資料漁り」に加え今回は、 我が家の「先祖のルーツを探る資料漁り」を、縁のありそうな地域の図書館を巡りながら、していたのだ。 加えて図書館巡りの他に、友人・知人たちの墓参を行う事も今回の主要なテーマであった。 北海道居住ということで、葬儀等に出席できなかった、かつての友人や知人の墓を訪ね、今は地下に眠ってる彼らに、旧交に感謝すると共に、別れの挨拶を行う事も、私には重要であった。 彼らとの関係に、区切りを付けたかった、のである。 更に、夜を中心にであるが高校時代の友人や、大学時代の友人たちとの再会を目的とした飲み会も、重要な目的の一つであった。 70歳を過ぎると、次に逢うのがいつになるのか、はたまた今回の飲み会が、永遠の別れになるのか判らない事から、こういった飲み会は貴重な機会でもあるのだ。 ![]() 高校時代の友人との、甲府での食事の場所として選んだのが、 ”人生食堂○○〇”という名の、居酒屋の様な、食堂の様な店であった。 その店を選んだのは、宿泊先のホテルから数分で行けた事と、何といってもそのネーミングに惹かれたから、であった。 甲府駅前のメインストリートから2・3本入った、生活道路に面したその店は、思ったよりも混んでいた。 金曜日の夕方、といったことも原因の一つだったのかも、知れない。 カウンターや小上りの席は予約も含めてほぼ一杯で、私達はカウンター席のレジ横を空けてもらって、なんとか座る事が出来た。 友人とのビールでの乾杯の後、3年振りの再会を祝い、この間どんなことがあったか、お互いの近況を話し始めた。 その際彼から、実は昨年12月に”軽い脳梗塞 ”に罹って、10日ほど入院していた、と告げられた。 彼は今から7・8年前にも、心臓病の手術をしていた事を後から聞かされて、その時も驚いたのであるが、今回も驚いた。 とはいえ、こうして目の前で酒を飲んでいる本人と、話しているのだから、リハビリが進んで快方に向かっているというのだ。 以前ほどではないが、量を減らして酒を飲むコトは出来ている、との事であった。 今でも若干言葉がスムーズに出てこれない、と彼は気にしていたが、会話自体に大きな支障は無く、それなりに安心はしていた。 そして何よりも生きている事が大切だ、こうやって逢えるのだから、と彼には言ったのだが、やはり考えることがあった。 彼自身の問題ばかりではなく、私も含めて70歳を超えるとやはり、一歩間違えば人生が終わってしまいかねない、病気や問題に遭遇する機会が増えるのだな、とつくずく感じ入ってしまった。 ![]() 「人生食堂○○〇」という、一風変わった名前の居酒屋に入って、こんな話をする展開になるとは思ってなかったが、これも何かの縁があったんだのだな、と店を出る頃には思っていた。 因みにその店の名前の由来は、店主の強いこだわりの結果名付けた、という事であった。 更には店内の掲示板に、”次回の「子ども食堂」は第〇土曜日です・・”といった様なメッセージが、書かれていた。 そういったモノを見ると、やはりこの店のネーミングには、 ”店主の想い ”が強く反映しているのだろうな、と感じてしまった。 この店主は私達よりは一回りは若い様に見受けられたが、彼自身もいろいろな人生経験があったから、このネーミングに拘ったのに違いない、などと帰り道を歩きながら二人で話した。 「人生食堂」のネーミングには、「子供達」や「孤老達」についての、店の想いが関わっているに違いないのだ・・。 ある種の”居場所づくり”とでもいうか・・。 チョットだけ、心が温かくなったような気がした。 ![]() |
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甲斐源氏の鎌倉時代の武将安田義定に興味/関心を抱いていた私(立花)は、静岡県遠州の北部「北遠」での秋葉山神社本宮と春野町の事を知り、ますます義定公と甲州金山衆のことが気になってきていた。 とりわけ春野町でも随所でその痕跡や足跡が確認された、「甲州金山衆」とは一体どのような人達なのだろうかという事を、改めて考えてみる事にした。 金山衆=金山開発の従事者について調べてみたところ、古代日本の金山開発の一端を担ってきた場所の一つとして、北茨城から那須に連なる「奥久慈エリア」があることを知る事となった。 そしてその北茨城は甲斐源氏と先祖を共にする常陸源氏佐竹氏の根拠地であることに気が付いた。佐竹氏と甲斐源氏は共に新羅三郎義光という祖先を持ち、かつては共に常陸之國の有力な豪族であった。 ひょっとしてその常陸之國に、「甲州金山衆=黒川衆」のルーツを知るヒントがあるかもしれない、と私は思い始め常陸之國茨城について改めて調べる事とした。 この物語は甲斐源氏安田義定及びその家臣である黒川衆と、常陸之國の関係を改めて調べ、再確認するための「歴史検証物語」である。 < 全 体 構 成 > 1.常陸、武田郷編 常陸之國における甲斐源氏祖先の痕跡や足跡を 求めて主人公たちが、現在の「ひたちなか市」 武田郷を訪れ、幾つかの事実や痕跡を確認する プロセスである。 2.佐竹氏と金沙神社編 常陸之國北部を中心に、砂金/金山開発に関連する 金沙神社を訪ね、現在の茨城県に残る砂金/金山 開発の痕跡や史跡を地元の郷土史研究家達と一緒 に確認することに成った。 茨城県の最北端で、かつては陸奥之國に含まれて いた八溝山周辺の金山や金鉱を訪れる事に成った 立花達は、大子町の袋田温泉で地元の金山開発に 」 詳しい新たな郷土史研究家たちと合流し情報交換 をすることに成った。 そこで茨城のメンバーから常陸之國の金山開発と 越後之國とに浅からぬ関係が在ることを識る。 それには上杉謙信と越後金山衆が多いに関わって いたのだという。 = 義光流源氏、家系 = 流祖:源義光(新羅三郎義光) 源盛義 源義清 源義業(嫡子) (信濃源氏;平野氏家祖) (甲斐源氏:武田流祖) (常陸源氏:佐竹氏家祖) 源清光(嫡子) 源義定 源遠光 源信義(嫡子) 源光長 (安田氏家祖) (加賀美氏家祖) (武田氏家祖) (逸見氏家祖)
安田義定は源清光の四男で、源義光のひ孫にあたる。 |
![]() 〒089-2100 北海道十勝 , 大樹町 ![]() ] ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |